こんにちは。
ハッピーを引き寄せよう!
ジェイバンの稲場真由美です。
いつも上京した時には、
フツーに気持ちよく迎えてくれる
大学3年の勇介くん。
私は、彼が2歳のときから、
働いていました。
そして、これは、
小学校1年生くらいのときに
ランドセルの中から見つけた作文。
ランドセルの一番下のほうに
なんだろう?と思って見てみたら、
この作文というか、お手紙がありました。
きっとこれは
まだ書いてる途中だったんでしょうね。
おかあさんへ
なんで おかあさんは たのしそうにしごとお やっているんですか
ぼくからは たのしそうにやっているようにしか みえません
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楽しそうに見えるんだなぁ・・・。
確かに楽しい。
ただ当時、この手紙を読んだときは、
子供から仕事が楽しそうにみえることは
いいのか、悪いのか、
正直わかりませんでした。
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私は、23歳のとき結婚し、
26歳のときに勇介を出産。
出産前に夫の転勤で、
夫の両親と同居することになりました。
けれど、父も母も仕事を持っていたので、
子供を見てくれる人はいなくて、
外で働くことはできませんでした。
でも何かやりたい。。。
今のうち基盤を作って
将来、彼が成長したとき、
やりたいことを応援できる親になりたい。
そんなことを思いながら
ずっと家庭と両立できる仕事を探していました。
・・・ということは、
自分の時間を自由に使ってできる仕事を
自分で作るしかない!と思い
いろんなことにチャレンジしました。
夫と結婚する前の23歳のときに
セブンハピネス、という
将来の夢を描きました。
健康、家庭、時間、お金、仲間、
生きがい、美しさ
この7つを少しずつでもいいから、
バランス良く手にいてられる人生を送りたい。
これが23歳から今も続いている
私の夢です。
23歳の若さで、
普通こんなこと考えない、とよく言われました。
こんなことを思うのには、
私の生い立ちに深く関係があるとおもいます。
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ちなみに
私の生い立ちといっても、
すごくドラマチックなものではありません。
ただ、人よりかなり感受性が豊かな
子供だったんだと思います。
実家は、12人座れる、小さな『お好み焼屋さん』。
父はトラックの運転手。
私が4歳のとき、父のアイデアで、
専業主婦だった母が店を切り盛りすることになりました。
お金もなく、トラックの運転手だけでは、
このまま家を建てることもできない。
大阪生まれで、味覚に優れていた父は、
研究に研究を重ね、味を決め、
店舗を探して、開店にこぎつけました。
何となくもの心がついていた時期だったので、
親の後ろ姿をみながら、
自営のいいところも、大変なところも
子供ながらに、肌で感じながら、
自分の将来はこうしたい・・。
と考えていたんだと思います。
裕福な家庭ではなかったので、
大学には進学できないと親から言われ、
中学卒業後は就職に有利な商業高校へ進学しました。
結果的に、
本当にそれがよくて、
高校卒業後、
いろんなことにチャレンジしました。
今、こうして考えてみると、
かなり親の生き方や考え方の影響を
受けてるものですね。
親の後ろ姿って、意外にじーっと
子供から見られてるものなんですね。
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私は、仕事が大好きで、、、
というより、
好きなことを、仕事にするタイプなので、
つい仕事に没頭していくのが
悪いクセでもあります(^▽^;)
最初この手紙を読んだときは、
子供から仕事が楽しそうにみえることは
いいことなのか、良くないのか、
正直わかりませんでした。
けれど、高校を卒業した時、ボソッと、
『尊敬してる人は誰か?」って聞かれたから、
お父さんとお母さんって答えたよ。
お母さんはいつも一生懸命仕事して、
楽しそうに頑張ってるから。』
と言ってくれました。
すごくうれしくて、ジーーンときて、
ホントに良かったなーと思いました。
小さいときは
仕事に没頭して、
寂しい思いもさせた時もいっぱいありましたが、
頑張ってる姿勢は、
ちゃんと見てくれていたんですね。
お母さんが楽しそうに仕事をすることは、
いいことだった。
それは10年間かけて、判明しました(*^▽^*)